カテゴリー「ベトナムの世界遺産」の9件の記事

ハイバン峠とランコー村

ベトナム中部の中心都市、ダナン。
そのダナンを中心に南へ行けば、世界遺産の「古都ホイアン」と「ミーソン聖域」がある。
そして、北へ2時間行けば、世界遺産「フエの建造物群」がある。

ダナンからフエへ行く途中に、ハイバン峠という19世紀の始めにフランス軍が設置した要塞(砦)があります。
このハイバン峠は高さは500m弱の峠であるが、ベトナムの北部と南部の地理的な境目だけでなく、気候や民族性まで違うという大きな境目である。
ベトナム語でハイは海を、バンは雲を意味します。

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ここは昔からの交通の要所でもあるが、九十九折の危険な急坂が続き、岩山が海まで落ち込んでいるため、短い距離でも長時間を要していた。
2005年に日本のODAが6kmのハイバン・トンネルを完成させた。
しかし、ここは是非、トンネルを通らず多少時間が余分にかかっても、ハイバン峠を経由すべきです。

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この峠はベトナム戦争時にも要所であったため、周りの山も良く見れば、今でも枯葉剤散布の影響で木が生えていない戦争の負の遺産も見ることができます。

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峠の頂上から下るときには、「ランコー村」という素晴らしい白砂のビーチがあります。
この景色とビーチは将来の著名なリゾートに成長することでしょう。

このように、ベトナム中部は観光的要素が満載で、何度行っても楽しめる場所です。

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ハロン湾

■ハ・ロン湾
 1994年登録、2000年登録範囲拡大:自然遺産 7/8

ハ・ロンとは、「龍が舞い降りた地」という意味で、海の景勝地としては世界屈指のものです。

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海から突き出た大小様々な形の無数の島々が、幻想的な景観を造り出しています。
これは石灰岩台地が沈降し、長年の風化作用によって、いろいろな形の現在の姿となった。
その彫刻のように海から突き出た奇岩の風景は、中国の桂林に似ており、「海の桂林」とも呼ばれています。

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桂林と雰囲気が似ているだけでは無く、地質学的にも中国の桂林あたりから続く石灰岩の台地が長い年月の沈降を繰り返し、海になった場所です。

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最近は、ハロン湾のクルーズが大変充実してきており、半日クルーズから1泊・2泊の豪華なクルーズ船も楽しめる。
首都ハノイからも車で片道3時間以上かかる場所なので、一泊して太陽の昇っていく早朝のハロン湾の移り変わる景色を楽しむ方がいいだろう。
クルーズ中には、ダウゴー島の鍾乳洞「ティエンクン洞」の中もライトアップされていて幻想的な景色も楽しめる。

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古都ホイアン 2

■古都ホイアン(Hoi An Ancient Town)
 1999年登録:文化遺産 2/5 

ホイアンは日本にゆかりのある魅力的な地で、世界遺産に登録される数年前に一度訪問してます。
最近改めて訪問しましたが、世界遺産登録により観光客が大幅に増加し、それを受け入れる施設も多数できている。

ホイアンも世界遺産登録されたことにより、「観光地化による問題点」が散見されます。

特にこの地は、遺跡ではなく現在も人が生活をしている街です。
白川郷のように、実際に生活している人にとっては観光客は迷惑な部分もあるでしょうが、観光客目当ての土産物屋さんや新しい店もたくさんできてます。

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(↑世界的に有名なロクシタンのお店は町の風景に溶け込んでいます)

でも、観光客が落とすお金により、街を流れる川などは綺麗に整備されていました。
(↓この川沿いの通りはヨーロッパ様式の建物が残っています)

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ホイアンに限らず、アジアの市場は活気があって、その地域の食材等の違いもわかるので、海外では市場巡りが何よりの楽しみです。

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↓50円くらいでお腹イッパイになります

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近年、ホイアン近郊の浜には5ッ星級のリゾートホテルも林立し、観光客の増加のため町の雰囲気が変わりつつあることも懸念されている。

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しかし、日本ともかかわりのあったホイアンの古い町並みや、少し足をのばせばチャンパ王国の世界遺産・ミーソン遺跡もあり、観光的視点としてはベトナム中部は何度でも訪問したい場所である。

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古都ホイアン

■古都ホイアン(Hoi An Ancient Town)
 1999年登録:文化遺産 2/5 

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当サイトでは世界遺産の日本名を、日本ユネスコ協会連盟の訳を記載している。
古都ホイアンは正式名称を英語では、Hoi An Ancient Townとなっている。

一般的に「古都」とは「古(いにしえ)の都」を想定するが、ホイアンは過去のどの時代でも都が置かれたことは無く、阮(グエン)朝の都であった世界遺産フエの外港に過ぎない。

建築物の多くは18世紀以降に建造された旧中国人街を中心とする民家を中心として構成されており、京都の平安京や奈良の平城京、または世界の首都がおかれていた都市ではなく、これを日本語で古都と表現することには若干違和感がある。

しかし奇跡的にベトナム戦争の被害にもあわず、かつて栄えた国際交易都市の面影を当時の姿のままで残っているのは、都として発展を続けなかったおかげかもしれない。
その理由として、良港であった川の土砂堆積により貿易港としての役割を果たさなくなったことも大きい。

ベトナム中部の商業都市ダナンから南東へ約30km。
チャンパ王国の時代以来「海のシルクロード」の拠点で、東南アジアの主要な貿易港でもあった小さな港町「ホイアン」。

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ホイアンは良港に恵まれ、16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄した。
1601年の徳川家康時代には、江戸幕府との正式な国交が行われ、約30年間にわたる朱印船貿易が活発に行われた。
当時のホイアンは、山田長政で有名なアユタヤの日本人町と並び、大規模な日本人商人の町が形成された。

現在でも、日本人によって架けられたといわれる、1593年に造られた屋根付きの来遠橋(日本橋)や、郊外の日本人の墓など、当時の日本の面影も残っている。

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一時期は、1,000人を超える日本人が住んでいたともいわれているが、江戸幕府の鎖国政策により急速に日本人はいなくなってきた。
その後は、中国人が勢力を持ち、日本的家屋の雰囲気のある中国的家屋が細い通りの左右にぎっしり並んでいる。

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その木造家屋が昔と変わらない姿で、今も人が住み続けている軒を連ねる古い木造の家々は、京都の町屋に似た間口は狭く奥行きの長い構造をしています。

古都ホイアン 2に続く

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ミーソン聖域 (その2)

↓ミーソン遺跡の入り口

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↓入り口からはワゴン車に乗り換えて約2kmくらい進みます。

ワゴン車は10人程度しか乗れず、台数も少ないので歩いて行く欧米人も多いです。

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↑どんな遺跡が現れるか、ワクワクする道です。

↓千年の風雨にレンガは朽ちていってます。

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↓祠の内部はセメント類も使わず、チャンパ王国の見事なレンガの積み上げ技術です。

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ミーソン聖域

■ミーソン聖域(My Son Sanctuary)
 1999年登録:文化遺産 2/3 

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MY SONとは美しい山という意味である。
登録英文名からはミーソン聖域となるが、ミーソン遺跡の方がわかりやすいだろう。

同じ1999年に世界文化遺産に登録された、古都ホイアンの南西45㎞に位置し、四方を山に囲まれた盆地で、北側に聖山マハーパルヴァタを望む。

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チャンパ王国(2~17世紀)の聖地として崇められ、4~13世紀に亘って建造されたヒンドゥー教遺跡群がある。

遺跡はA~Hの8ブロックに分けられているが見るべき箇所はBとCグループに比較的程度の良い遺跡が集中している。

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建造物にはセメントや漆喰などの接着剤を使った形跡が無く、チャンパ王国の当時の技術力の高さを示している。

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12世紀頃には隣国カンボジアのアンコール王朝との間で幾度かにわたりチャンパ王国と領土の取り合いが行われている。
あのアンコール遺跡を残したアンコール王朝を占領した時代もあるチャンパ王国の当時の繁栄はこの遺跡から感じるのは難しい。

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しかも、近年発見されるまで、約千年もの間、熱帯林の中に埋もれていたレンガ造りの建物は崩壊が進んでおり、仏像なども盗掘にあっている。
また、ベトナム戦争での爆撃によりかなりな遺跡も破壊されており、アンコールや他国の遺跡と比較しても、十分な修復は行われていない。
現在でも鬱蒼としたジャングルの中に点在するミーソンの遺跡は、廃墟のようなイメージを感じる。

あまりに綺麗に整備された遺跡より、ミーソン遺跡のような見捨てられた状態のままの方が歴史の重みを感じることができると思います。

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近年、日本の協力でミーソン遺跡の入り口に展示館が完成し、ミーソン遺跡やチャンパ文明の全体像を理解するのに役立っている。

また、ダナンには、チャンパ王国の彫刻を中心とした博物館「チャム彫刻博物館」があり、
ミーソン遺跡に行く前後にはこの博物館を訪問することはチャンパ王国やミーソン遺跡を理解する上で必須である。

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フォンニャ・ケバン国立公園

■フォンニャ・ケバン国立公園

(Phong Nha-Ke Bang National Park) 
  2003年登録:自然遺産 8 

ベトナムの世界遺産に登録されている5つの物件の内、中部の玄関口であるダナンからの近郊に、4物件が集中している。
その中では、「フエの建造物群」として登録されているフエからも200km(約3時間半)の距離がある。
フエからの途中に、かつて南北ベトナムの国境だったDMZ(非武装地帯)がドンホイにあり、欧米の観光客には大変人気がある。

国立公園内には300を越える洞窟が存在するが、フォンニャ洞窟が最も美しくはベトナム最大の洞窟で、
約4億年前の古生代からカルスト地形が形成され、2億5千年前に形成された。
フォンニャとは「風の牙洞窟」という意味で、総延長8km、その中を世界最長の地底河が貫流している。
9~10世紀にチャム族が仏教の聖域として利用し、1990年に英国の探検隊が地下及び水中の地図を作成し、世界三大水洞窟と認めている。
ベトナム戦争中は、武器庫や病院として利用され、アメリカ軍の爆撃の標的となった。

東南アジア最古・最大のカルスト地帯で、総面積が85,000ヘクタールという巨大な国立公園で、鍾乳洞・地底湖・地下河川を持つ。
また、哺乳類や鳥類、爬虫類・両生類・淡水魚や植物種にいたるまで豊富な生態系も併せ持っている。

鍾乳洞内には、かつてこの地を治めていたチャンパ王国のチャム族によって描かれた古代文字の落書きを見ることが出来る。

洞窟内はライトアップされている場所もあり(ハロン湾の鍾乳洞もライトアップされている)、幻想的な美しさを見せている。

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フエの建造物群

■フエの建造物群
 1993年登録:文化遺産 3/4 

ベトナム中部の都市・ダナンから半径100kmほどの範囲にフエの建造物群・古都ホイアン・ミーソン聖域の3物件の世界遺産が登録されている。
まずは1993年にベトナム初の世界遺産として登録された「フエの建造物群」について登録の概要を記します。

フエはベトナムの京都とも称されているが、ベトナム最後の統一王朝である、阮(グエン)朝はここフエに1802年から1945年の間、都として栄えた。
なので、フエの建造物群とは、阮朝時代に建造された城壁や歴代の皇帝陵や寺院をさすため、歴史としては200年程度のものである。

ベトナムは紀元前より1000年間も中国に侵略されており、その影響ははかりしれない。
フエの王宮や皇帝陵も規模は小さいが、城壁は中国清朝の北京城を模し、王宮は同じく北京の紫禁城(現在の故宮)を縮小した建築となっている。
また、当時ヨーロッパで流行っていたヴォーバン式の築城方法を取り入れている。

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(↑正午に太陽が真上に来るように設計された午門)

また一方で、ベトナム特有の宮殿建築や、フランス式の城壁等、オリジナリティを併せ持つ建築物も多い。

フエの市街は,香(フォン)川を中心として北岸の旧都城を中心とする旧市街と、南岸のフランス植民地時代の建物が並ぶ新市街とに二分されている。

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嘉隆(ザロン帝、在位1802~1819)は、諸制度を整備するとともにフエを国都と定め都城を造営、次の明命帝(ミンマン帝、在位1820~1841)から紹治帝(ティエウチ、在位1841~1847)にかけて阮朝は最盛期を迎える。
嗣徳帝(トゥドゥック帝、在位1847~1883)時代にフランスは開国を迫り、その後のフランス保護領時代のカイディン帝陵はバロック様式の影響を受けている。
その後も阮王朝の形だけは存続するものの、実質はフランスの植民地化となっていく。

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フエはベトナム戦争で激戦地となったために多くの建物が破壊されてしまったが、ユネスコや日本などの協力で、調査や復元が行われている。
まだ新しい年代の物件であるが、建築物群だけではなく、香川を中心とした渾然一体としたフエの町の佇まいは、とても趣がある。
ベトナムで最初の世界遺産登録にふさわしい物件である。

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(↑皇帝が政務を行う、大和殿)

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ベトナムの世界遺産

◆ベトナム社会主義共和国の世界遺産

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2009年1月現在、3件の文化遺産と、2件の自然遺産が登録されており、計5件の世界遺産を保有している。
以下、登録年順に列記します。

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■フエの建造物群
 1993年登録:文化遺産 3/4 

■ハ・ロン湾
 1994年登録、2000年登録範囲拡大:自然遺産 7/8 

■古都ホイアン
 1999年登録:文化遺産 2/5 

■ミーソン聖域
 1999年登録:文化遺産 2/3 

■フォンニャ-ケバン国立公園 
  2003年登録:自然遺産 8 

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それぞれの物件の解説の前に、世界遺産を深く理解するためにはその国の歴史の流れの概要を理解していることが必要です。

超簡単【ベトナムの歴史】

歴史の中でベトナムが国家として登場するのは、紀元前2880年ころの雄王(フンヴォン)が最初です。

紀元前200年頃の秦の始皇帝時代に、南のベトナムに対しては侵略をおこないました。
当時は南越国とよばれていたベトナムには象牙や白檀などの特産品や、豊穣な土地も中国にとって魅力的な侵略地であった。

その後939年にベトナムの英雄「呉権」によって独立するまでの1千年間、中国に支配され続けた。
そういった中でもチャム族によるチャンパ王国が出てきます。
チャム族は現在の中部から南部にかけての地域を広く支配していた民族で、海上交通を上手に使って交易を行い、自分たちの文化を作り上げていきました。
チャム族の遺跡を眺めると、それはインドの文化であるヒンズーの影響を非常に強く受けたものであることが分かります

呉権によって独立したベトナムは、その後も分裂と統一を繰り返し、中国の侵略を受け続けます。
グエン王朝の時代に、フランスにも侵略されます。

イギリスがアヘン戦争で当時、「清」の中国を植民地化にしようとしていた時期に、フランスはグエン王朝に巧みに取り入り、ついにベトナムを植民地にすることに成功した。

その後、フランス統治下のベトナムに日本軍が進駐してくるが、太平洋戦争が終結し、日本軍が連合国に無条件降伏すると、ホーチミン主席がベトナム民主共和国の独立宣言を行います。
しかし、翌年1946年にはインドシナ戦争が始まり、その後の泥沼のベトナム戦争へとつながって行きます。

ベトナムの世界遺産 2へ続く

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